今から70年以上前、祖父は山梨県郡内を中心に営んでいた「内藤興行社」。
山梨県のほか神奈川県にも映画館を構え、興行で地域を活気づけていました。
祖父は、東京都町田市に内藤興行社が運営する(東京の)映画館を作ることを夢みていました。
しかし、昭和のテレビ需要には勝てずに、昭和47年6月、テナント貸しビル業「株式会社 内藤ビル」を父を代表としてスタートさせました。
画像は祖父が営んでいた「内藤興行社」が繁栄していた時に浴衣や手ぬぐいに使用していた反物の残りです。
発祥の地・山梨県の富士山と、家紋があしらわれています。
祖父の名の「松」と、内藤家の家紋「内藤藤」(ないとうふじ、下り藤の一種)は、「下がる」で興行には縁起が悪く、祖母の家の家紋「剣片喰」を使用しています。
いかにも興行師らしい発想です。
祖父の夢だった「興行で町田をにぎやかにする」こと。
夢の形は祖父とは違いますが、ロケーションサービスを通して町田市のにぎわいの一翼を担うことが出来る様に精進する所存です。